礼拝式次第
- 招詞:詩篇136篇1~3節 1主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。2もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。3もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
- 賛美:新聖歌8番「七日の旅路」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳28 詩篇第91篇
- 祈祷
- 聖書:マタイによる福音書11章28~30節
- 賛美:新聖歌478番「山は緑」
- 説教:「イエスのくびきの負い方」
- 新聖歌181番「重荷を負いて」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:新聖歌63番「父 御子 御霊の」
- 祝祷
聖書箇所:マタイによる福音書11章28~30節
28すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。29わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
説教(メッセージ)要旨
「イエスのくびきの負い方」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
今朝も先週から引き続き、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)から始まる、とても良く知られ、魂の休みとなるこの箇所を通して共に神に傾聴します。
先週は、魂の休み方は「わたしのもとにきなさい」(28節前半)とあるように、救い主イエスのもとに来ることであり、それはイエス・キリストの十字架、そしてその死から復活したことによって成し遂げられた私達の罪の贖いと永遠の命であるこの福音を信じること。そして、日々悔い改め、聖書の御言葉を通して神に傾聴することであると、共にききました。今週はそれでは具体的にどうすれば霊的休み、魂の休みを得ることが出来るかについて、その答えが記されている29、30節を通して神に聴きます。
29節で、イエスは「わたしのくびきを負うて」とまず言っています。くびきとは、牛や馬を車や農具につなぐために首に装着する横木のことです。そこから転じて、自由を束縛するもの、重荷、苦難などを意味する言葉として使われています。しかし、イエスはこのようなくびきを私達に負うことが必要であると言っているのはなぜなのでしょうか。それはその後に続く「わたしに学びなさい」に答えがあります。イエスと行動をすべて共にする時にはじめて本当にその事を学び、得ることが出来るからです。そして30節で、私達の心配する一番の関心事について、神の愛、配慮が示されています。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」とハッキリと記されています。
イエス・キリストを信じていても、日々の生活でイエスとくびきを共にすることをためらうことが多くある私達に、神は大丈夫だよ、怖がらなくてもいいんだよと優しく語りかけて下さっています。だからこそ、何も思い煩うことなく、イエスのみもとに行き、イエスの負いやすいくびきを共に負い、イエスから直接学び、日々魂の休みを得ようではありませんか。
「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」
(ヘブル人への手紙4章16節)


