日曜礼拝のお誘い:8月31日(日)

聖霊降臨節第十三日曜主日礼拝 神様を求める方、礼拝する心を持って来られる方は、どなたでも参加出来ます!
*問:礼拝とは? 答:日頃神様がなして下さっている一つ一つの事への感謝と賛美を、わざわざ神様のもとに帰ってきて、神様にささげることです。日曜日の礼拝は、特に一緒にこの日頃の感謝と賛美を神様にささげる礼拝です。

  • 礼拝前さんび練習:10:10
    新聖歌169番「心を尽くして」(新聖歌242頁)
  • 日曜主日礼拝:10:30~ *ライブ配信はここをクリック!
    聖書:詩篇1篇1~6節
    メッセージ:「クリスチャンの生き方:その①」

主日礼拝式次第 2025年8月31日
  1. 招詞:詩篇136篇6節
    地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
  2. 賛美:新聖歌173番「感謝いたします」
  3. 主の祈り
  4. 信仰告白:使徒信条
  5. 交読文:口語訳31 詩篇第100篇
  6. 祈祷
  7. 聖書:詩篇1篇1~6節
  8. 賛美:新聖歌266番「罪咎を赦され」
  9. 説教:「クリスチャンの生き方:その①」
  10. 新聖歌172番「望みも消え行くまでに」
  11. 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
  12. 献金感謝祈祷
  13. 頌栄:リビングプレイズ91番「待ち望め主を」
  14. 祝祷
聖書箇所:詩篇1篇1~6節

1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
1:4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

説教(メッセージ)要旨

「クリスチャンの生き方:その①」
 メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師

今朝は聖書の中で、世界中の多くの人が親しみをおぼえる詩篇を通して、共に神に耳を傾けますが、一言で詩篇と言っても1篇から150篇までもあるとても長いものなので、詩篇の最初の1篇を通して神に傾聴します。

詩篇1篇はどのような人がこの地上でさいわいであるかが記されています。1節でさいわいな人は具体的にどんな人かが記され、2節でこのさいわいな人は、毎日の生活で何をしているかがわかります。そして3節で、このさいわいな人は結果どうなるかが記されています。

4節から1~3節への対比として悪しき者について記されています。さいわいな人とは逆の人です。4節で悪しき者がもみがらに例えられ、5節で悪しき者がどうなっていくが記され、詩篇1篇最後の6節で、正しい者(さいわいな人)と悪しき者の結果が記されています。

クリスチャンと呼ばれる者の生き方は、詩篇1篇で記されているさいわいな人であり正しい者の生き方です。しかし、この地上において必ずしもこのようにはならない、実際違うと思わされる事が、日々多くあります。それは事の成り行きの途中、ニュースやSNSで見聞きしたその時点で事の顛末(てんまつ)がわかったかのように考えてしまうからです。

私達は見聞きするすべての事の顛末(一部始終)を知り、判断することは不可能です。そんな私達に、神は聖書を通してあらかじめその答えを教えて下さっているのです。そして、その答えが長い人間の歴史でどのように証明されてきているかを、旧約聖書、新約聖書で史実を通して明示しています。

イエス・キリストが通られ成し遂げられた十字架とイースターの出来事を自らのものとして受け、自らの人生の土台に据え、基準とし、日々の生活すべての中心とする時、詩篇1篇の「さいわいな人」「正しい者」となり、この地上においても素晴らしい神の祝福と喜びの中で生きる事が出来るのです。

33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(マタイによる福音書6章33~34節)

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