礼拝式次第
- 招詞:詩篇136篇15節
パロとその軍勢とを紅海で打ち敗られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 - 賛美:新聖歌4番「子羊をば」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳37 詩篇第119篇
- 祈祷
- 聖書:へブル人への手紙11章1~3節
- 賛美:新聖歌190番「静けき祈りの」
- 説教:「聖書は祈りの歴史」
- 新聖歌427番「ただ主を」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:新聖歌61番「御恵みあふるる」
- 祝祷
聖書箇所
へブル人への手紙11章1~3節
1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
説教(メッセージ)要旨
「聖書は祈りの歴史」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
聖書箇所:へブル人への手紙11章1~3節
聖書には私達がこの地上で生きるための大切なことで詰まっていますが、その一つが祈りです。今朝はこの祈りについてへブル人への手紙11章1~3節を通して、共に神に耳を傾けて聴きます。
祈りについて記されている聖書の箇所を通して考えると、祈りは神との会話そのものであることがわかります。そしてこの祈りについて社会運動家としても有名な伝道者、賀川豊彦(1888~1960)は、「聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録である」と語りました。また聖書には叶かなえられた祈りが450件以上記されていると数えた方もいるそうです。私自身は実際に数えたことはありませんが、今朝のへブル人への手紙11章に列挙されている人達の信仰による生き様を一つ一つ見る時、賀川豊彦氏が祈りについて語られたことがその通りであると確信することが出来ます。
クリスチャンであってもこの地上で生かされている間、すべての人と同じように喜怒哀楽の中で日々を過ごします。クリスチャンになったら人生いつもバラ色、思う通りの人生というわけではありません。へブル人への手紙11章のリストにある人たちもそれに漏れることなく、同じように過ごしました。御子イエスでさえも様々な困難な中で日々を過ごしました。それではクリスチャンであることは、そうではない人たちとこの地上においての日々の生活で何が違うのかと言うと、それは祈りがあるかないかなのです。言葉を変えると、神との会話がある毎日なのか、そうではない毎日なのかと言う事です。
聖書の福音、イエス・キリストを信じる人が、日々の生活で神を感じることが出来ないと感じているのであれば、それはイエスが地上で私達に見せて下さった祈りを通して神との関係を持つことが出来ていないのです。長く記録的に暑い夏が終わり秋へと季節が移りつつある今、気が付くと10月半ば、あっという間の2025年であり、そしてクリスマスが近づいています。今年もクリスマスを迎えるにあたり、イエスご自身が私達に教え示して下さった祈りによって神と会話し、神との関係をより深く持ち、なぜ、何のためにわざわざ人の形をもってこの地上に約2000年前に来て下さったのか、そのことに思いを馳せながら準備しようではありませんか。


