礼拝式次第:2025年8月24日 聖霊降臨節第十二日曜主日礼拝
- 招詞:詩篇136篇5節
知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 - 賛美:新聖歌320番「世の波風に」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳30 詩篇第96篇
- 祈祷
- 日曜学校紙芝居メッセージ:神様から逃げたヨナ
- 賛美:新聖歌505番「主われを愛す」日本語・英語
- 聖書:ヨナ書3章10節~4章4節
- 説教:「預言者ヨナの生き方」
- 新聖歌419番「起こし給え」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:リビングプレイズ91番「待ち望め主を」
- 祝祷
聖書箇所:ヨナ書3章10節~4章4節
3章
10神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。
4章
1ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、2主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。3それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。4主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
説教(メッセージ)要旨
「預言者ヨナの生き方」 メッセージ取次者 髙橋勇哉牧師
預言者ヨナと聞くとよく連想されるのが、大きな魚にのまれ、腹の中で三日三夜過ごしたヨナです。今朝はこの出来事が記されているヨナ書、そして預言者ヨナの生き方を通して、神の御許に来て耳を傾けて聴きます。
ヨナ書は、神が預言者ヨナを当時イスラエルの敵であったアッシリア帝国の首都ニネベに、悔い改めのため遣わそうとした所から話が始まります。もちろん、これを嫌がり逃げたのがヨナであり、そして良く知られている大きな魚にのまれる出来事へとつながっていきます。
ヨナ書はとても物語性があり、たった4章しかない短く読みやすい聖書の一部です。ページ数で言うと3頁しかなく、あっと言う間に読めてしまいます。このヨナ書の中心人物であるヨナの生き方に焦点を合わせていくと、多くの事を私達は神から教えられます。それは、時代や状況が違っても、ヨナも私達も同じ人間として根本的には同じだからです。
ヨナ書の中のヨナは、最初から最後まで喜びとは程遠い状態でした。大きな魚にのまれた時は、神に悔い改め、素晴らしい祈りをしています。しかし、預言者として果たすべき責任を果たし、ニネベの人達が神の御前に悔い改め、神がそれを喜びニネベを滅ばすことを止めると、なんとヨナはそれに腹をたて、神に対して何とも言えない態度をとりました。何度も「生きるよりも死ぬ方がましだから、自分の命をとってください」と神に言ったのでした。そして、神から諭(さと)されながらこのヨナ書は終わります。始まりから終わりまでヨナは神に対して不平不満の態度を変える事は出来ませんでした。
ヨナは預言者であり、自らも聖書の神を信じる者としての自覚がありました(ヨナ書1章9節)。しかし実生活においては、神ではなく自らがその中心となっていました。だから神を信じていても、神と自らの考えや思いが違う時、神ではなく自らの事を優先する選択をしたのでした。これは、クリスチャンとしての私達がすぐに簡単に陥ってしまう状態を、ヨナの生き方を通して、神が私達にそうならないようにと教えて下さっているのです。
福音を聴き、悔い改め、救い主イエスを自らの救い主と信じていても、いつも私達の生活の中心に神がいない状態では、喜びがなく、気がつくといつも何にたいしても不平不満をつぶやいている生活を日々をおくり、ヨナのようになってしまうのです。そんな私達でも心から悔い改め神に祈り出る時、神は驚くような事を体験させて下さります。しかし、私達が日々の生活の中心を何に置き続けるかという根本的な部分を継続的に正さなければ、この地上において、全てが苦しみへと変わってしまうのです。福音を信じ、救い主イエスを信じる時、永遠の命は私達に必ず与えられます。しかし、この地上においてどのような生活を過ごすかは、神から与えられている自由をどのように使うかにかかっているのです。
「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」(ガラテヤ人への手紙5章13節)