2026年5月17日 復活節第七日曜主日礼拝
礼拝前さんび練習:新聖歌334番「朝静かに」
メッセージ:「八つの幸(さいわ)い:その①」
聖書箇所:マタイによる福音書5章1~10節
説教者・司会:髙橋勇哉牧師
奏楽者:水野恵子姉
礼拝式次第
- 礼拝前賛美練習:新聖歌334番「朝静かに」
****** - 前奏
- 招詞:詩篇139篇3~4節 3あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。4わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
- 賛美:聖歌334番 朝静かに
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳15詩篇第40篇
- 祈祷
- 聖書:マタイによる福音書5章1~10節 新約5頁(口語訳)
- 賛美:新聖歌163番 くすしきかな主の御名
- 説教「八つの幸(さいわ)い:その①」
- 賛美:聖歌339番 恵みの高き嶺
- 献金:新聖歌55番 今ささぐる
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:リビングプレイズ91番 待ち望め主を
- 祝祷
- 後奏
聖書箇所
マタイによる福音書5章1~10節
1イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。 2そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
4悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
5柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
6義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。
7あわれみ深い人たちは、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
8心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。
9平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
10義のために迫害されてきた人たちは、
さいわいである、
天国は彼らのものである。
(日本聖書協会 Japan Bible Society 1955)
説教(メッセージ)要旨
聖書箇所:マタイによる福音書5章1~10節 新約5頁(口語訳)
メッセージ題:「八つの幸(さいわ)い:その①」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイによる福音書5章3節)を通して、神の御前にあって謙虚になることについて共に神に耳を傾けます。ここで「こころの貧しい人」とありますが、これは無気力や消極的な状態、自己肯定感が低い状態を指すのものではありません。先ず「こころ」と訳されている箇所は、ギリシャ語ではπνεῦμα(プネウマ)とあり、英語はspirit(霊、魂)と訳されています。次に、「貧しい人」はギリシャ語でπτωχός(プトーコス)とあり、「貧しい」「乞食(こじき)」を意味します。そして、ここではただ貧しいだけでなく「物乞いをするほど何も持たず、完全に無力で助けを求めている状態」を指します。これらのことを踏まえて、もう一度この箇所を考えると、リビングバイブル訳の「心の貧しさを知る謙遜な人」と読むことが出来ます。
先週、山上の垂訓に耳を傾ける時のキーワードが「天国」であることを聴きましたが、もう一つのキーワードが「謙遜、謙虚」であると、神は私たちに教えて下さっています。
聖書では、謙遜・謙虚がいかに大切であるかが多くの箇所で教えられています。では聖書を通して神が教える謙遜・謙虚とは何でしょうか。それは自らを「低く」することです。イエスは「この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」(マタイによる福音書18章4節)と教えています。また、イエスご自身がこのことを最後まで実践し、私たちの見本となられたことをピリピ人への手紙2章8節を通して知ることが出来ます。
日々いつも謙遜・謙虚に過ごすことは簡単ではありません。しかし、神はその方法を私たちにペテロの第一の手紙5章6節を通して「神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい」と教えて下さっています。そして、その結果「時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう」と約束して下さっているのです。毎日の生活で失敗しながらでも、これを信じ行動に移す時、神にある希望と喜びを肌で感じる日々へと導いて下さるのです。
