聖霊降臨節第十四日曜主日礼拝 神様を求める方、礼拝する心を持って来られる方は、どなたでも参加出来ます!
*問:礼拝とは? 答:日頃神様がなして下さっている一つ一つの事への感謝と賛美を、わざわざ神様のもとに帰ってきて、神様にささげることです。日曜日の礼拝は、特に一緒にこの日頃の感謝と賛美を神様にささげる礼拝です。
- 礼拝前さんび練習:10:10
新聖歌169番「心を尽くして」(新聖歌242頁) - 日曜主日礼拝:10:30~ *ライブ配信はここをクリック!
聖書:聖書:詩篇23篇1~6節 - メッセージ:「クリスチャンの生き方:その②」
礼拝式次第:2025年9月7日 聖霊降臨節第十四日曜主日礼拝
- 招詞:詩篇136篇7節
大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 - 賛美:新聖歌208番「イエスは愛で満たす」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳32 詩篇第103篇
- 祈祷
- 賛美:新聖歌46番1, 2節「わが主よ 今ここにて」
- 聖餐式
- 賛美:新聖歌46番3, 4節「わが主よ 今ここにて」
- 聖書:詩篇23篇1~6節
- 賛美:新聖歌209番「慈しみ深き」
- 説教:「クリスチャンの生き方:その②」
- 新聖歌206番「飼い主わが主よ」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:新聖歌60番「天地こぞりて」
- 祝祷
聖書箇所:詩篇23篇1~6節
ダビデの歌
1主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
2主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
3主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
5あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
6わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
説教(メッセージ)要旨
「クリスチャンの生き方:その②」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
今朝は聖書の中で、珠玉(しゅぎょく)の詩篇とも呼ばれ世界中の多くの人が親しみをおぼえる詩篇の中で最も親しまれている詩篇23篇を通して、共に神に耳を傾けます。
詩篇23篇は神を牧者(羊飼い・牧人)に、そしてこの詩篇の作者であるダビデは自らを羊にたとえています。そして羊飼いと羊の関係を通して、神と神を信じる人との関係をあらわしています。神はどのような方であり、その神を信じ生きる事はどのようなことであり、その結果どのような生活を日々過ごすことができるかが記されています。
聖書にはこの羊飼いと羊が多く登場します。ユダヤ人にとってこれらはとても馴染み深い社会的要素でした。今の私達にとっては、雇用主と従業員、ちょっと前の言い方であればサラリーマンと経営者と言ったような感じだったのでしょう。ユダヤ人を始め、この当時の人々にとってとても共感しやすかったのが、この羊飼いと羊の関係だったのです。
旧約聖書ではこの詩篇23篇、そして新約聖書では福音書でイエス自身が自らを羊飼いにたとえ、神がどれほど私達のことを愛し、私達の命のために何をも惜しまない方であるかを知ることが出来ます。そして、自分の食卓に招く主人と客人の関係であらわされる後半部分の5~6節を通して、この詩篇23篇で示されている神と人生を共にすることの素晴らしさを知ることが出来ます。
詩篇23篇で示されている牧者の姿をそのままに体現されたのがイエス・キリストであり、イエスが通られ成し遂げられた十字架とイースターの出来事です。これを自らのものとして受け、自らの人生の土台に据え、基準とし、日々の生活すべての中心とする時、ダビデが6節で告白しているように、私達も心から同じ告白をし、この地上においても素晴らしい神の祝福と喜びの中で生きる事が出来るのです。
14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
(ヨハネによる福音書10章14~15節)


