礼拝へのお誘い 神様を求める方、礼拝する心を持って来られる方は、どなたでも参加出来ます!
*問:礼拝とは? 答:日頃神様がなして下さっている一つ一つの事への感謝と賛美を、わざわざ神様のもとに帰ってきて、神様にささげることです。日曜日の礼拝は、共に集まり心をあわせて日頃の感謝と賛美を神様にささげる礼拝です。
- 礼拝前さんび練習:10:20
新聖歌103番「わがためイエス君」 - 日曜主日礼拝:10:30~ *ライブ配信はここをクリック!
聖書:マルコによる福音書8章27~33節
メッセージ:「あなたは私を誰と言うか?」
礼拝式次第
- 奏楽
- 招詞:詩篇51篇2~3節
2わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。3わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。 - 賛美:新聖歌101番「イエスよ十字架に」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳7 詩篇第23篇
- 祈祷
- 賛美:新聖歌46番1,2節「わが主よ 今ここにて」
- 聖餐式
- 賛美:新聖歌46番3,4節「わが主よ 今ここにて」
- 聖書:マルコによる福音書6章45~52節
- 賛美:新聖歌107番「十字架の上にて」
- 説教(メッセージ):「あなたは私を誰と言うか?」
- 賛美:新聖歌105番「栄えの冠を」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:リビングプレイズ91番「待ち望め主を」
- 祝祷
聖書箇所
マルコによる福音書8章27~33節(口語訳:新約65頁)
27さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。 28彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります」。 29そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。 30するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。 31それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、 32しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、 33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
(日本聖書協会 Japan Bible Society 1955)
説教(メッセージ)要旨
聖書箇所:マルコによる福音書8章27~33節(口語訳:新約65頁)
メッセージ題:「あなたは私を誰と言うか?」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
イエスは弟子たちに「人々は、わたしをだれと言っているか」(マルコによる福音書8章27節)と尋ねました。次にイエスは「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」(マルコによる福音書8章29節)と尋ねると、ペテロは「あなたこそキリストです」(マルコによる福音書8章29節)と100点満点の解答をしたのでした。ここまでは素晴らしい展開でした(マタイによる福音書16章17~19節)。しかし、この後すぐに大きな問題が起こったのがペテロの言動でした。イエスがこれから自分に何が起こるかを具体的にハッキリと彼らに話始めると、「ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめた」(マルコによる福音書8章32節)のでした。これに対してイエスは「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マルコによる福音書8章33節)とペテロをしかって言われました。ペテロにとってはまさに天国と地獄と言うにふさわしいような状況になったのでした。
この出来事は、今の私たちにも日常生活で繰り返し起こっていることです。いつも私たちの心を、目を、福音を完成されたイエス・キリストに向けていなければ、ペテロと同じ結果になってしまいます。日曜日に教会で、礼拝でペテロと同じように、「あなたこそキリスト(救い主)です」と告白し賛美しながら、その舌の根も乾かぬうちに、ペテロと同じように「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マルコによる福音書8章33節)とイエスにしかって言われるような状態になるのです。
ペテロと同じようにならないためには、いつも罪の悔い改めが必要です。このためには罪とは何か、悔い改めるとは何か知り、そのための行動をとらなければなりません。福音の中心である救い、すなわち罪の赦しとそれを信じるものへの永遠の命に関しては、信じるか信じないかだけです。しかし、罪の悔い改めには行動が伴わなければ、結果せっかく信じ与えられた完全なる罪の赦しと永遠の命による真の自由を、この地上においてはまったく味わうことが出来ず、希望も喜びもない生活を送ることになるのです。
悔い改めとは、単なる後悔や反省ではなく、神から背を向けていた生き方(罪)を認め、方向を180度転換して神に向き直る「心の方向転換と日常生活での行動変化」のことです。これを日常生活でいつも心がけ実践するとき、十字架とイースターを通して完成された福音を自らのものとして、その希望と喜びの中で毎日を過ごすことが出来るのです。
*「悔い改め」はギリシャ語の「メタノイア(metanoia)」に由来し、メタ(後ろ、変更)とノイア(思い、心)が組み合わさり、「心を入れ替える」「考えを変える」ことを指します。聖書的定義は、神に背を向けていた状態から、神の方へ向き直ること。神中心の生き方への転換です。

