礼拝へのお誘い 神様を求める方、礼拝する心を持って来られる方は、どなたでも参加出来ます!
*問:礼拝とは? 答:日頃神様がなして下さっている一つ一つの事への感謝と賛美を、わざわざ神様のもとに帰ってきて、神様にささげることです。日曜日の礼拝は、共に集まり心をあわせて日頃の感謝と賛美を神様にささげる礼拝です。
- 礼拝前さんび練習:10:20
新聖歌110番「都の外なる」 - 日曜主日礼拝:10:30~ *ライブ配信はここをクリック!
聖書:マタイによる福音書4章1~17節
メッセージ:「福音の完成へ始まりの数40」
礼拝式次第
- 奏楽
- 招詞:詩篇51篇1節
神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。 - 賛美:新聖歌115番「ああ主は誰がため」
- 主の祈り
- 信仰告白:使徒信条
- 交読文:口語訳19 詩篇第51篇
- 祈祷
- 日曜学校:紙芝居メッセージ:砂の上に建てた家と岩の上に建てた家
- 賛美:新聖歌505番「主われを愛す」日本語・英語
- 聖書:マタイによる福音書4章1~17節
- 説教(メッセージ):「福音の完成への始まりの数40」
- 賛美:新聖歌102番「主は命を」
- 献金:新聖歌55番「今ささぐる」
- 献金感謝祈祷
- 頌栄:リビングプレイズ91番「待ち望め主を」
- 祝祷
聖書箇所
マタイによる福音書4章1~17節(口語訳:新約4頁)
1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。 5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて 6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。 7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。 12さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。 13そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。 14これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。 15「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、 16暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。 17この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
(日本聖書協会 Japan Bible Society 1955)
説教(メッセージ)要旨
聖書箇所:マタイによる福音書4章1~17節(口語訳:新約4頁)
メッセージ題:「福音の完成へ始まりの数40」
メッセージ取次者:髙橋勇哉牧師
福音に聴くためにまずは①神の目線(基準)で聖書を読むこと、特に②福音書から読み始めることが良いこと、③福音のはじめの時に罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマが宣べ伝えられていたこと、④良い地にまかれた種のように、御言葉を聞いて受け入れる、御言葉を行うという行動を伴うことを、礼拝メッセージを通して聴いてきました。今日は、福音に聴くためにイエスと弟子達との出来事(マルコによる福音書6章45~52節)を通して、どのように神の言葉に聴けばよいのかを見ていきます。
イエスは福音を伝えるために教え続けました。弟子達は、イエスのなされた多くの癒しや力ある業を目の当たりにしてきました。そんな中、男だけでも5千人、女性子どもを入れるとさらに数千人も多い人達に「五つのパンと二匹の魚」だけですべての人を満腹にされるという奇跡を、弟子達は体験しました(マルコによる福音書6章31~44節)。今日の聖書箇所はこの奇跡のすぐ後の出来事です。
弟子達は、イエスが目に入っていても、それがイエスだと認識することが出来ませんでした。まさか人が湖の上を歩くとは夢にも思わず、人でなければ幽霊に違いないという先入観があったからでした。そして、先入観ゆえに恐怖に支配され、落ち着いて見定めることが出来ず、結果ただ恐れおののくばかりとなったのでした。そして、その本当の原因は「先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである」(マルコによる福音書6章52節)とある通りです。
私達も神が日々私達の生活でなして下さっている事を思い出し、いつもその事実と意味を考えていなければ弟子達と同じようになってしまいます。困難の時、神が手を差し伸べて下さっているのに、それが神の助けだとは思えず、ただ恐れおののき、本当の助けではない目先だけのわらにしがみついてしまうのです。イエスによって宣べ伝えられ、完成された福音にきき、その福音によってこの地上で神にある希望と喜びのうちに生きるためには、神が自分の毎日の生活においてどのように動いて下さっているかを、いつも確認しその意味を一つ一つ考えなければならないと、私達に語りかけて下さっています。
16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
(テサロニケ人への第一の手紙5章16~18節)


